本を自分で選ぶことは、自分の物語の始まり。

皆さんは、どんなふうに読む本を選んでいますか?

私は本屋さんや、読書好きな方の本や絵本を紹介するSNSを参考に、本を選んで読んでいたこともあるのですが、紹介の頻度が高すぎてペースが合わなかったり、どうもピンとくる本に巡り合わないことが分かり、本はやはり自分で選ぶことにしました。

絵本は本屋さんに出向いて見つけることが多いですが、最近の私の本の選び方は、好きな作家さんの作品をひたすら読み、そこに出てきた別の本や参考図書に広げていく、というスタイルです。

私のシンプルな生き方のバイブル、『シンプルに生きる』のドミニック・ローホーさんの本には別の本からの引用が多く登場します。その中に、小川洋子さんの作品があり、気になっていました。

ドミニック・ローホーさんの本はほとんど読破しました。 手元に残したのは、数冊だけ。

 

そこで今は小川洋子さんの作品を読みあさっています。小川洋子さんといえば、『博士の愛した数式』が有名ですが、数学という難解なテーマを美しく小説に仕立てた素晴らしい作家さんです。『博士の愛した数式』を読むと、数学について学び、数の美しさに触れてみたくなるように、小川さんの作品は自分の世界を広げてくれます。他の作家さんの本や小説が作品中に出てくることも多く、巻末の参考図書も多いため、気になったものはそれらも読んでいくと、果てしないですが、退屈する暇もなくなります。

 

古い作品だと待たずに借りられます。『猫を抱いて象と泳ぐ』が印象的でした。

人生を構成してきたものと、物語の役割

箱、標本、博物館、本、百科事典、図書館、幼稚園、孤児院、雑貨店、給食室、プール、病室、司書、管理人、生き物、子ども、食べ物、音…

昔の作品を数冊読んだだけですが、小川さんの作品にはこれらのアイテムやイメージがよく登場する気がします。これらが独特の世界観を表現していて、同時に小川さんの人生を構成してきたものたちなのかな、という気もします。このように、自分の人生によく登場するものは何か、リストアップしてみても面白いかもしれません。

小川さんの作品の好きなところは、慎ましい人たちが主人公や登場人物になっているところ。幼少期から困難がありながらも、必ずその人を愛し、理解してくれる人が少ないけれどいるところ。そしてそうした人たちは、素晴らしい人格や才能を持ちながらも、ひっそりと亡くなっていくところです。

 

 

小川さんが講演などでよくおっしゃっているのが「物語の役割」です。私たちは、受け入れ難い現実を、自分の心の形に合うようにして変形させ、どうにかしてその現実を受け入れようとする。そこで一つの物語を作っているのだそうです。誰でも生きている限り、物語を必要とし、物語に助けられながら、現実との折り合いをつけているのだと。(『物語の役割』筑摩書房より)

本当にそうだなぁと思います。何か起こった時、その意味を自分なりに解釈し、記憶し、受け入れているということがあるからです。ひっそりと誠実に生きた人たちの物語に救われる気持ちがするのは、何かを自分に重ね合わせているのかもしれません。

 

早生まれで不器用だった作者が小学生の頃に作った、ボタンとボタンホールのお話は、自分を救う物語として当時、ボタンをはめるたびに思い出していたそう。

 

どんな本を読むか、頻繁に自分の人生に登場する場所やアイテムは何か、そうしたことが自分の人生の物語を作っていくのではないかなと感じます。だから、読む本も、ちゃんと自分で選ぶべきではないかなと思うのです。

そうそう、小川さんはラジオで本の紹介をされていて、こちらもどんどん読んでいきたくなってしまいます。

 


ところで、芦屋を舞台にした『ミーナの行進』には、ケーキ屋さんAや、パン屋さんBが出てきますが、関西の人ならすぐに、どのお店のことか、そのアルファベットで分かります。

 

 

作品に登場する、ケーキ屋さんA(アンリ・シャルパンティエ)のクレープシュゼットは、私も学生の頃、酒蔵通り店で初めて食べた時、美味しくて感動しました。帰省した際、母と芦屋本店にクレープシュゼットを食べに行き、また新しい思い出ができました。今度は夫と銀座メゾンに行き、アンリ・シャルパンティエのクレープシュゼットを食べられるお店を制覇しようかなと、目論んでいます!こうした楽しみにも広がるなんて、読書っていいですね。