絶対的に違うのに共感し合えるのはなぜなのか

父が亡くなった頃、感じていたもう一つのこと。それは「人はみな同じ」ではないかという感覚です。

同じ年に観た映画に『6才のボクが、大人になるまで。』というものがあります。ひとりの少年の6歳から18歳までの成長と家族の軌跡を、実際に12年をかけて同じ俳優たちで撮影したドラマです。この映画について雑誌で評されていた文章が胸を打ちました。

そこには人間みんなが経験する、成長と喪失、出会いと別れ、争いと和解、愛と友情、やさしさと暴力、そして未来へのひりひりするような希望がつまっている。(中略)

私たちはこのドラマに、誰とも共通する、しかし誰とも絶対に違う人生の時間が流れていることを知って、深く共感させられるだろう。

具体的に見えている景色は絶対的に違っても、誰もが成長し、出会い、変化し、別れ、老いゆく。そんな時間の流れ、つまり人生は人間みんなが経験するものであり、だからお互いに深く共感できる。そのこと自体がとても貴重で愛おしいことのように思ったのです。

人が亡くなる時

父が亡くなった時、祖父や祖母と同じ、仏様の顔をして逝きました。

その直後、なぜかテレビで立て続けに終末医療の番組を目にしました。自宅で最期を迎えたあるお年寄りを、亡くなるその時も映しておられたのですが、そのお顔を見て「仏様だな。父と同じだな」と思いました。そして息子さんがかけておられた言葉も私たちと同じ「ありがとう」でした。

人が亡くなる時のあり様、穏やかな表情、家族がかける声にまた、「人はみな同じ」であり、それが人間の真理ではないかと感じたのです。

みな同じだから、違っていても分かり合える

「みんなちがって、みんないい」という金子みすゞさんの詩の一部がよく引用されています。でも私はあまり好んで使いません。同じ人間同士でも、全く同じ人はあり得ないのだから、みんな違うのは当たり前と思っているからです。

むしろ、みんな違う経験をしながら、お互いに共感できる、通じる何かがある、そのことに深い安心感を覚え、そうした共通点を感じられる人間の力がすごいことのように思います。

絵本に描かれていることはとてもシンプルです。わかりやすい言葉とシンプルな絵。だからこそ、物事の本質や真理が現れるのでしょうか。多くの人が、絵本に勝手に共感できるメッセージを見つけ出し、その人しか経験していない人生の何かを思い出します。

それぞれ意見や感じたことは違っていても、わかる!確かにそうかも!となるのは根本的な感情を共有しているからではないでしょうか。

絵本セラピーを通して、誰しもに共通する人間の真理みたいなものや、「その気持ち、わかるよ」が伝わるといいなと願っています。